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被災地視察

2011年07月05日

ボランティアでなく、視察として宮城県に入りました。会派30名が参加したため、3つのグループに分けて訪問。田の上は気仙沼チームでした。6:12の新幹線に乗り、一関へ。現地で地元県議・市議と合流。乗り上げられた500トンの船はモニュメントにしたいのだと内海県議。市役所を訪れ市長の話も聞きました。私は、雇用対策について質問をし、産業が破壊された中、人口流出を防いで雇用を高めるにはどうしたらよいと思っているかを聞きました。市長は企業誘致をしていきたいと答えました。どのように支援ができるのか難しい課題です。続いて二次避難所となっている「ホテル観洋」を訪問。 許可をとって部屋も見せていただき、暮らしぶりを聞きました。そして、魚市場へ。だいぶ復旧したとはいえ、冷蔵施設も工場もすべてなくなった市場は、加工もできず、すぐに出荷しなければならない状態です。市場は避難場所にもなっていて3Fの駐車場から、まだ水が溜まった町の中を見渡しました。気仙沼は地震→津波→火災が発生。タンカー(船)が倒れたり、貯蔵タンクが倒れたりして海も炎上。この町のがれきは、他の地域と異なりサビのついた赤色のがれきが多いのですが、その理由は火災でした。お弁当を移動の車中で食べて、階上(はしかみ)中学校へ。避難所と仮設住宅の様子を見てきました。 都内の避難所は生活しているスペースまで入ることができませんでしたが、地元議員の取り計らいで中まで入らせていただき、実際に被災者の話を聞くことができました。救援物資の支給は、大きな避難所と小さな避難所で差があるようで課題となっています。行政職員は「ミスがないこと」「公平性」を重要視し、「この避難所に送られた物資は他のところには送れない」とルールを守ることにとらわれ、また収容人数に合わない数の物資は不公平になると言って配らなかったりしますが、災害時はスピードが大切だと聞きます。臨機応変に動くことができなければいけないときもあります。是非改善してほしいと思います。 南三陸町に移動し、仮役場で副町長の話を聞きました。南三陸町は、防災施設が流されてしまったため誘導のため頑張っていた数多くの職員も亡くしてしまった自治体。気仙沼もそうでしたが、東北の三陸は避難訓練などもまめに行っていて危機意識の高かったところ。6-7mだとされていた津波が10mを超え、想定を超えたのだと口々に言います(南三陸町の津波は15.9m)。何ともやるせない気持ちになります。その後松島に向かい、松島観光会長の佐藤氏より現状と課題を伺いました。翌日は、宮城の県議会を訪れ危機管理監の小野寺氏より対策と復興計画を聞きました。6月29日現在死者9,189名、行方不明者4,642名の宮城県。市や町では支えきれない復興の施策を県でも支えきれない気がしました。当然国が頑張らなくてはいけませんが、財源において国民の協力が必要なことは確かです。 続いて、宮城県議会の「改革みやぎ」の会派メンバーと意見交換。そして長町の仮設住宅を訪れ、パーソナルサポートについてNPOの方から話を聞きました。仮設住宅ではこもりがちになる一人暮らしの人たちに手を差し伸べたいと頑張る人たちですが、個人情報保護の壁にぶつかってしまいます。本来はそういった情報も「見守り」のためには必要なのに。最後に仙台市災害ボランティアセンターを訪問しました。今まで個人的に訪れた他のセンターと比較し、大きな施設となっていました。仙台市は震災当初ボランティアの受け入れを市内に限っていましたが、徐々に市外からのボランティアも受け付けています。私がボランティアに行った4月5月は宿泊施設もいっぱいで(行政の派遣職員などが長期滞在していました)、2日間寝ないで強行突破スケジュールを組みましたが、今は宿泊施設も空きがあるようで、余裕のある計画を立ててボランティアに来ることができそうです。 県議の方々がおっしゃっていた言葉を思い出します。「東京の皆さんにお願いしたいのは「買占め」だけはしないでほしいということ。」本当に響いてしまうのだそうです。私たちはこの視察で得たものを都民の災害対策に、そして都に避難してきている人たちの生活安定支援に、また被災地への支援につなげていかなくてはなりません。

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